ー日常生活やとやまの魅力を伝えるフォトブログー 

山王さんで親しまれている「日枝神社」

はじめに

今日は土曜日でお休みと言いたいところなのですが、私はお仕事で出勤となります。新型コロナ感染拡大の影響で休業をしていましたが、ようやく来週から通常営業できることになったので準備に向かいます。天気がいい日は基本的にクロスバイクでチャリ通勤をしているのですが、今日は少し早めに自宅を出発して日枝神社にお参りしてから出社しようと思います。

日枝神社の歴史

創建の年代は不詳。古くは越中国新川郡針原に広い境内地をもって鎮座していたのを、南北朝の1335年(建武2年、桃井直常が北条時兼を追討した際、敗走する時兼が防戦のため社に火を放ったので、戦乱を避けて神体は現在の富山市隠土、旧上新川郡中野村と各地に遷座した。1367年(正平22年)以降、旧婦負郡藤居村(現在の富山城跡)に遷した。天正年間、佐々成政が富山に入城の際、城内にあった藤居山富山(ふせん)寺鎮守山王権現を現在地に遷し、富山の産土神とした。成政の越中退去後、1587年(天正15年)、前田利長が富山城に入城して以降は、富山前田家の産土社に定められ、新たに社地・社殿が寄進された。1873年(明治6年)に郷社に列した。1875年(明治8年)、天照大御神を祀る北神明社、豊受大御神を祀る中神明社を合祀した。1899年(明治32年)、境内地に新県庁を建設するのにあわせ、かつて鎮座していた縁で富山城跡内に遷座し、同年8月2日、県社に昇格した。しかし同年8月12日に市街全域を焼く大火があり、社殿を焼失した。1901年(明治34年)、現在地に本殿・拝殿を再建した。1945年(昭和20年)8月1日、富山大空襲により全社殿その他建物の全てを消失したが、御神体は、本殿土壇の特設の防空壕に直前にお移しして被災を免れた。戦後は被災にあった本殿・拝殿・社務所等が氏子崇敬者の御浄財により次々とご復興し、神域は見違えるように旧に勝る威容を誇るに至った。1968年(昭和43年)、神社本庁の別表神社に加列された。2006年(平成18年)には、本殿の修復、幣殿の増築、廻廊の新築工事が行われた。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

行ってきた

雲ひとつない青空の下を軽快にペダルを回します。土曜日の朝は人手が少ないので、自然とケイデンスが上がってしまいます。朝日を浴びて、爽やかに吹く風を感じながら走るのは、やっぱり心地よさが最高ですね。そんな感じで進み続けて到着したのは、富山市中心部の街なかに鎮座する”日枝神社”です。地元では”山王さん”の愛称で、長年多くの人々に親しまれている神社です。

社号標

社号標が大きくて立派ですね。愛車のクロスバイクと比較すると、その大きさを感じ取っていただけると思います。撮影を済ませたら参拝しましょう。

鳥居と参道

両サイドを緑豊かな松に囲まれて、まっすぐに伸びた石畳が美しい参道です。鳥居を中心にしたシンメトリー感が素晴らしいですね。静寂な中をゆっくり前に歩いていきましょう。

手水舎

手水で身を清めようと思ったら、新型コロナ感染予防対策のために蓋で閉じられていました。残念ですが仕方がありませんね。真ん中の竹の先から自動でお清めの水が流れるようになっていました。

拝殿

鮮やかな朱色が基調に黒がアクセントとなった美しい拝殿が、境内でひと際存在感を示しています。

拝殿内の様子

拝殿内部は広くて、いい気が流れていますね。非常に居心地がいい空間でした。この拝殿の奥が本殿になります。ちょうど神主の朝拝が行われていましたよ。私も一緒にお参りさせていただきました。

大麻(おおぬさ)がありますね

こちらは神主さんのお祓いアイテムですね。オオヌサといって神主さんが使うお祓いの祭具になります。

境内で愛車を撮影

広々とした境内にいるのは私ひとりなので、ゆっくりと愛車の撮影を楽しみました。朝日が差し込みトップチューブがきらりと光る。なんて素敵な状態なんでしょう。ずいぶんと長く乗っている相棒なんですが、自分なりに手入れしているのでいい走りをしてくれます。この間、ショップの店長に褒めてもらいました。

おしまいに

富山市街地にある日枝神社は、初詣には約25万人もの人が訪れます。県内最大級の神社にふさわしい立派な社殿でした。アクセスも抜群で、富山市中心部に鎮座していることから、周辺には城址をはじめ、デパートや飲食店などもたくさんあるので、誰もが気軽に訪れることができるのも魅力の一つですね。観光にいらしたときには立ち寄っていただきたいおすすめスポットです。

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